生産農家のご紹介 南魚沼コシヒカリの米職人たち

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“塩沢の鉄人"
貝瀬健司

8年前、彼 ― 貝瀬健司 は専業農家への道を選んだ。

当時、兼業農家の長男。
親父の田んぼを手伝う。
人材派遣会社の営業職に従事。

ありがちな今時農家の姿である。

そのまま片手間農家を会社の休みになんとかこなしつづけ、先祖への義理を果たす。
それがスタンダードな生き方だ。

だが彼は少し変わっていた。
当時、盛り上がり始めていたインターネット通販での米販売に手を染めていたのだ。
まだ農家直送というスタイルは少ない時代だ。

南魚沼農家はあの戦国武将「直江兼継」の配下「上田の衆」である。
なかなかの戦略家なのだ。

・・だからといってみんなが「直江兼継」ほどにデキるわけではない・・・・

案の定「お米のネット通販」というものは増殖し、競合だらけになってくる。
いち、兼業農家のネットショップではだれの目にも留まらない。
実は「脱サラ」も目指しているというのに・・・

頭にきた彼は「それならば」と有り金をはたいて米屋へと本格転身。
精米機等に設備投資。なんと800万円も投じた。

えてして気合は空回りするものだ。
そんな彼の情熱と無謀は「販売業」において行き場を失って行く。

ネットの米屋に向かって
「モノの中身かわからないのに高いじゃあないか!」
「ブランド名だけ語ってないか?」
「言葉のマジックじゃないのか!」

いくら吼えても誰も見向きはしないのは当たり前だ。

そんな流通の洗礼をうけた彼だ。
ホンモノの「南魚沼コシヒカリ農家」が流通において勝てなかった。
これが悔しかった・・。

そして専業農家として立ち上がる。

これが8年前だ。
美味しいものをつくらねば。
ホンモノを提供しなければ。
原点を見直し、美味しさを極めるのだ。

つくり手としての充実を感じる中。
「慣行栽培よりももっと美味しいお米を作りたい」

と、また無謀な「夢」を追い始めるところが彼のコリないところである。

彼の作付け面積はちょうど日本の農家の平均的作付面積である。

さらに美味しいお米をつくって食味コンクールで評価され。
収穫量を確保し。
日本の専業農家のよいモデルにもなりたいと燃えていた。

もちろん思ったからできるものではない。
燃えたからできるわけもない。

そう、やはり彼にはできなっかた。

例えば。
肥料が大事だ!と。
経験の長い農家の先輩方に無理やり聞きに行く。
あの肥料がいいと聞けば使い、この肥料がいいと聞けば使ってみた。

しかし食味コンクールの評価が上がらない。
 収穫量が上がらない。

満足できる米がとれない。

意気消沈しかける自分をかろうじて支える。
もうこれ以上挫折したくない・・・

しかし、人の世は想像できないくらいに無情だ。

・・・背骨と足の複雑骨折。

医者はクールに告げる。
「下半身不随と膝から下の切断は覚悟してほしい」

草野球の打ち上げではしご酒。
寝ぼけて家の二階から転落。
自暴自棄にでもなりかけていたのか・・・・

彼のドラマが動いたのはここからだ。

ついつい気持ちがはやる彼には、この空白の期間が功を奏したようだ。

考える時間が増えた。
本人は考えていなっかたつもりはなかったらしいが・・・・
出会いが増えた。
つながりができた。
美味しい米をつくるという再びの原点回帰。

 

ずっと問題だった肥料。
仲間の紹介で優秀な肥料屋と出会う。

決意する。
農薬をつかわない米づくりをやろう!!

2ヶ月の入院と一年間のリハビリ。
医者の面目を丸々つぶした。
後遺症もなく復活した。

彼の夢も
彼に身体も
不死身だった。

そして彼はまた一から始めた。

まずは、土つくりだ。
土壌診断をし、肥料設計をした。
農薬を使わず。
科学肥料を使わず。
有機肥料にこだわり四年でようやく満足できる米が取れるようになってきた。
まだまだ、試行錯誤の途中ではある・・・と自嘲気味に彼はいう。

食味コンクールでは、毎年毎年評価点数が上がっている。
収穫量は一反五俵、これを七俵の目標とする。

ただでさえ「いもち病」に弱い「昔ながらのコシヒカリ」
これを農薬不使用というハードルで挑む。

始めて間もない頃は家族からは大反対された。
「手間のかかる草取り作業が増える」
彼は人の手伝いなどあてにはしない。
自分の責任でやりきる。
「美味しいお米を作りたい一心で続けてきてよかった」という。

普通の慣行栽培は除草剤をまけばいいが、農薬不使用栽培は「3日に一度」は除草作業が必要だ。

肥料の量とタイミングも重要だ。
天候予測データで稲穂が出る約10日前に肥料を入れるタイミングと状態を見ながらの量を決める。

実は「昔ながらのコシヒカリ」の農薬不使用栽培で得たものがある。

現行の「コシヒカリ」でも慣行栽培に比べ、農薬と科学肥料を8割減らす栽培をしている。
特別栽培米と呼び名はいっしょでも中身が違う。

慣行栽培では、田植えのあと除草剤をまくと、草取りの作業はいらなくなる。
だが8割減だと草取り作業は必要になる。
また朝5時から9時過ぎまで3日に一度の除草作業だ。
しかし培ったノウハウは確実に実を結んだ。

「昔ながらのコシヒカリ」
「コシヒカリ」共に応えてくれる。
だからこそ。
美味しいお米のためには手を抜けない。

彼のドラマはまだまだ終わらないようだ。

“塩沢の角栄"
田中和成

私は大変ショックでした。
忘れもしない10年前。

友人の口から出た言葉は。
「米が旨いのはもう南魚沼じゃねぇんだよ」
「よその県の田んぼのほうがうまいんだよ!」

思わず拳に力が入るのを抑えながら聞いていたのを今でも覚えています。

生まれも育ちも南魚沼の塩沢地区の私には耐え難い話でした。
そして私自身が「南魚沼の米農家」になろうと決意するきっかけとなったのです。

当時、私はコンピューター関係の会社で働いていました。
家は農家でした。私はそのまま農家になるのを嫌い、農業とは関係のない職業に就職したのです。

生まれたときからお米が美味いのは当たり前でした。
そして南魚沼は「コシヒカリ」の育成をあきらめなかった人たちの土地です。
父や母、近所の人たちが多大な努力で育成し、完成させた「コシヒカリ」です。

そのころ、米づくりに携わっていなかった私でも悔しくないはずがありません。自分が食べて育った南魚沼コシヒカリ。南魚沼だけが一番じゃないということに大きなショックを受けたのです。

10年前の会話はこう展開します。

お米の品評会の話題でした。友人によると、品評会では近県のお米も入賞していて「いま評価の高いお米は周りの県だ」という話でした。
 美味しいお米といえば新潟、南魚沼塩沢産が一番だと思っていた私です。
「なぜ周りの県のお米がこれほどの人気なのか?」
と驚きつつもその理由が知りたいと思いました。

 更に話はすすみます。

他県の農業試験場では、魚沼地区の土の成分を分析している。
それに近づける研究を重ねている。
というのです。

科学的に魚沼米の美味しさを研究していたのです。
当時まったく農業に携わっていなかった私も、これには驚きました。

魚沼の多くの農家では「土・水・気候」に恵まれているからと、あぐらをかいていたようです。それに比べて他地域では、日本一の米産地に追いつけ追い越せと地道な努力をしていたのです。

それまで「悔しい」だけの私の気持ちが少しずつ変わっていくのを覚えています。

他地域の米農家さんの努力にふれて世界が広がったように感じました。
彼らに対して敬意をもって、逆に挑んで行きたいとも感じました。

同時にこのまま「南魚沼産コシヒカリが廃れてはいけない!」という使命感を持ちました。

そして私は自ら米農家として真剣に米づくりを始めることを決意したのです。

仲間と話し合いました。
「日本一の南魚沼コシヒカリを復活させたい!」
「最高の環境で最高の米をつくりたい!」

そんな思いに共感してくれた若手の後継者たちを先頭に、私たちの新たな米づくりが始まったのです。

 

まず、 私たちが力を入れたのは土づくりです。土のチカラを高めるための研究を重ねました。 もとより美味しいお米づくりに適した、素質の良い土地です。

年々、品評会で入賞する仲間が増えてきました。
さらに南魚沼コシヒカリの評価を確かなものにするために探求しています。

もし、私が初めから農家をしていたら気づかなかったかもしれません。

友人を通して南魚沼米の現状を知り、客観的に南魚沼の米づくりを考えられたことが良かったと感じています。

25年連続特Aという最高の評価をいただいている南魚沼塩沢地区です。

豪雪地帯特有の気候、恵まれた土壌、ミネラル豊富な雪解け水。
南魚沼塩沢だからこそ育つ最高の「コシヒカリ」です。

 

まだ知らない方へこの味をお届けすること。
それが私たち南魚沼の生産農家の使命です。
最高級の南魚沼塩沢産コシヒカリをおいしく食べていただけたら幸せです。

南魚沼市六日町コシヒカリ水田

“六日町"
三輪弘和

目指す農業は自然のままの農業。
農薬や除草剤を使わない。自然に近づけて循環する。
僕の考える農業の姿です。

ただ、すぐにここにたどり着いたわけではありません。
僕の家は六日町の兼業農家。その長男に生まれました。

ご察しのとおり、すんなり農業を継ぐことはありませんでした。
多くの後継者が農家、特に小規模兼業農家をあきらめます。

僕自身は大学卒業後「料理人になる!」と決断。
大学を卒業した金沢の地で「料理修業」に没頭しました。
夢は「イタリア料理店」だったのです。

ちなみに・・私の妻は「金沢の和食料理人」でした。

「金沢で店を持とうか」と二人で迷っていました。

こんな僕たちにも決断を迫られる時がやってきたのです。

実家の六日町では農家の方たちが高齢化の問題につき当たっていたのです。
体力的に厳しい。後継ぎがいない。
・・・田んぼを手放すしかない・・と。

ここで、僕の父の登場です。

「三輪さんは一生けんめいだねえ」
「まじめに田んぼをつくるねえ」
・・・「うちの田んぼ、、、やってくれないかね」

あっというまに増えつづける田んぼと畑。

たしかに僕も、父の農業への生真面目な取り組みは尊敬していました。
しかし、無理には限界があります。
当然手に負えなくなった父と母。

彼らは僕に言います。・・・「帰ってこい!!」

実は、僕と妻の「夢の店」には一つのこだわりがありました。

「お店で出す料理は、自分が生産から携わりたい。自らつくったもので料理をしたい。
素材づくりを大切にしたい」
ということだったのです。

僕たち二人のお店と南魚沼の田んぼ・畑。
同じ方向でつながることになりました。

今、僕と妻は南魚沼の六日町で農業をしています。
同時に「添加物無し、安心できるお弁当と惣菜、オードブルのお店」
も始めることができました。

近所のおばあちゃんがいいます「じいちゃんの晩御飯のおかずをつくるのが難儀になって」
ご飯のおかずを手づくりして近所の年配の方々に食べてもらいたい。
自分たちで、素材である作物を育て収穫する。
自分で手を加えて料理する。

夢がつながってきました。

タニシや虫たち、たくさんの田んぼの仲間たちといっしょに元気に育つ。
安全なコシヒカリをじっくり育てる。
安全な野菜もじっくり育てる。

最初にお話しした自然に近い農業。
例えば今、農協指導の田植えは5月20日頃までです。

元々、南魚沼のコシヒカリの時期は6月に植えて10月に刈りとるものです。
無理に収穫を急ぐ必要はないのです。
稲も野菜も、種には必ずそれに合った自然な時期があります。

自然に近い農業で収穫された「本当の味」を届けることができる。
地元の方々にも、日本中の方にも。

とてもうれしく思います。

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